書庫室で繰り広げられている珍事に私は少しだけ茫然としてしまっている。

「あんた、馬鹿だな。人間の唾液は雑菌だらけなんだ。そんなものを傷口に流し込むなんて嫌がらせとしか思えない」
「…雑菌」
「そんな事も知らないのか?馬鹿だ、本当に馬鹿だ」
「…」

(えぇ…っと)

先程から馬鹿だ馬鹿だと云われている事について特に怒りとか憤りとかといった気持ちはなかった。

彼の云っている事は正しい。

フェルから得た知識を正しいのかそうではないのか確認する前に人にひけらかせたのだから浅はかの一言に尽きる。

(唾液の事、勉強しよう)

単にそう思った。

では何故私が茫然としてしまっているのか?

其れはひとえに今目の前で繰り広げられているザシャル王子の豹変した態度に──だった。

(…ザシャル王子って…こういう人、だったの)

初見の時と随分印象が変わってしまった。

私の中でのザシャル王子は人見知りをするのか、恥ずかしがり屋なのか、人と目を合わせて話す事をしない、冷たく固い、つまり冷静な無機質感という印象の強い人だった。


──其れなのに


「目を見てお話出来るのですね」
「は?」
「きちんとご自分の思っている事を言葉に出来るのですね」
「……」
「安心しました」
「~~~馬鹿にするな!」

また少し憤慨してザシャル王子は持っていた本を手にして私の前から立ち去ろうとした。

「待ってください」
「!」

引き留めたくて思わずザシャル王子の腕を掴んでしまった。

「は、放せっ」
「お話が終わっていません」
「話?」
「はい。明日、私の道徳の授業の一環としてイグナーツ王子とフェルディナントとザシャル王子の3人で城外に社会見学に行きます」
「はぁ?社会見学?」
「はい。是非お付き合いください」
「拒否する事は出来るのか」
「…するのですか」
「…」
「…」

しばらくの沈黙の末、ザシャル王子はちいさく舌打ちをして「仕方がない」とだけ云って、持っていた本を本棚に戻し其のまま書庫室を出て行ってしまった。

(…なんだか…嵐の様だった)

暫くの間、ザシャル王子が出て行った方を見ながら私は今までに味わった事のない衝撃に胸を高鳴らせていた。

(ザシャル王子はどうして素顔を隠していたのかしら)

多分私の事を『あんた』と呼ぶ王子が本当の素の王子なのだろう。

最初の時とは随分変わる印象だ。

(ひょっとして場所によって性格が変わるのかしら)

初めて逢った勉強室と今居る書庫室で性格が変わるのかも知れない。

(だとしたら其れはどうしてなのかしら)

ザシャル王子の変貌について考えれば考える程に解らなくて、でも其れが知りたいという欲求に変換されて気持ちが高揚した。

(ひょっとしたらイグナーツもフェルもザシャル王子と同じ様に場所によって性格が変貌するのかしら)

何故か其処まで考えが間延びして、3人に関して妙な興味が湧き出した私だった。



そして翌日。


「おぉ、可愛いねーアメリア」
「…」
「本当、そういう格好も似合うな、アーリァ」

エントランスに集合したイグナーツとザシャル、そしてフェルは簡素な服装に身を包んだ私を見て三者三様の感想を述べた。

(あ、ザシャル王子は何も云わなかった)

城下への社会見学という事で、王女や王子という身分を隠すために私同様3人も庶民と同じ様な軽装を身に纏っていた。

(でもこの服、凄く軽くて動き易い)

いつも来ているドレスは装飾品や刺繍が沢山施されている為なのか、着るとずっしりと重さを感じていた。

もっとも、ちいさな時から其ればかりを着ていたので其れが重いという事すら解らなかった訳だが、こうやって別の服装を着る事によって比較する事が出来て其れもまた新鮮な驚きになったのだった。

「おや、ザシャル王子は可愛いアメリアに誉め言葉ひとつないのかい?」
「…可愛いですよ、とても子どもらしくて」

イグナーツに促されて言葉を発したザシャルの其れは仕方がなくお世辞を云っているという感じの感想だった。

「そうだよね、可愛いよね~アメリア」
「おう、アーリァは可愛いぞ」
「…」

でもイグナーツもフェルもザシャルの皮肉に気が付かないのか、妙なテンションで私を囲みはしゃいだ。

そんなふたりをザシャルは冷ややかな目で見ていた事に私は気が付き、また新たな疑問が発生した。

(…どうしてザシャル王子は本当の事を云わないのかしら)

人に促されて自分の意見を曲げるような人ではないと、昨日の書庫室でのやり取りで解ったのだけれど。

(やっぱり場所なのかしら?)

エントランスでは大人しい性格になるのだろうかと思ったのだった。

Schwarz Mythos
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