蘭さんとの愉しいひとときを終え、家に帰ったのは21時過ぎだった。 

お風呂に入って、明日の準備を軽く済ませてから布団に潜り込んだ。

手元のスタンドライトの淡い灯りが私が手にしている本に優しい影を落とす。

(頂きの果てに…隆成然)

静かな室内に紙が捲れる音が響いては消えるを繰り返す。


【──遠方で雷鳴が叫んでいる】

そんな一文から始まる作品は山岳救助隊の話だった。

山を愛し、山のために何か出来る事はないかと考え続けていた男性が山岳救助隊という職に就き、其処で起こる自然の厳しさ、尊さ、美しさ、惨さなどの悲喜交々を切々と圧倒的な筆量で書き綴っている。

主人公の生い立ち、人生を変える出逢い、彼を支える人々との触れ合い──

文章の中には一片の笑いもなかった。

ただ重厚で荒々しく突き刺さる文字の羅列が次第に読み続ける事を億劫にさせる。

(…ダメだ…眠気が…)

決してつまらなくて眠気に襲われているのではない。

先を読みたいけれど、読むには気力というか体力がいるような気がする。

(寝物語として読むには向いていないよ)

蘭さんは眠れない夜にはうってつけの本だと云ったけれど、あながち間違ってはいない。

だけど私はこの本をきちんと読むには心構え──というか、読むぞ!という気合を持って臨まなければ先を読み進める事が出来ないと思った。

(…残念だけど今日は此処までにしよう)

三分の一も読めていない本を静かに閉じる。

そうしてスタンドライトを消し、そっと目を瞑ると明日からのタイムスケジュールを頭の中で組み立てていく。

(お店がある時間には読めないから…終わってから直ぐに事務関係の事や家事や食事を済ませて…)

効率よく物事をこなし、読書時間を算出しなければいけない。

(いつも何となくダラダラ見ているネットを止めて、お風呂を早めに入って…)

そうして割り出した時間は二時間。

毎晩寝る前の二時間が私の読書時間になった。





「ふぁあ…」

「おやおや、寝不足かいな、美野里ちゃん」
「夜更かしは良くないぞ、お肌が荒れてしまう」
「いやいや、若い娘なんじゃから寝不足にもなるだろうて」
「あぁ…そういう事かいな。全くお盛んじゃなぁ」

「…あの、違いますから」

気の緩みから出た欠伸ひとつであれこれ突っ込まれる最強おばあちゃん集団の口撃にもそろそろ慣れて来た。

其れに面白可笑しく下ネタでからかわれる事にも。

(あんまり慣れてはいけないのかも知れないのだけれど)

いつも通りの日々を過ごす中で、私の毎日が少しだけ違ったものになっていた。

(あぁ、早く夜にならないかな)

私にはお茶屋を経営する以外に愉しみな事がひとつ出来ていた。



カラン♪

「いらっしゃいませ」

いつもの常連客を見送った数十分後、此方もほぼ常連になりつつある人がやって来た。

「なんだ、いつも閑古鳥が鳴いているな、この店は」
「あのですね、東藤さん。東藤さんが閑古鳥の時を狙って来ているんでしょう」
「あーまぁ、そうだな」
「たまには皆さんがいる時に来てお話に混ざればいいのに」
「冗談じゃない。あのご婦人らは俺をネタに話し出したら永遠にこの店に居座るぞ」
「いいじゃないですか、売り上げに貢献してくださいよ」
「断る」
「あはははっ」

そんないつもの軽口の挨拶を交わしながら、東藤さんはカウンター席に座る。

「いつもの」
「はい」

既に東藤さんからの注文はお決まりになっていた。

軽食のピラフに食後のコーヒー。

厭きもせずに其の一択だった。


「頂きます」

差し出したピラフをいつもの様に手を合わせ美しい所作で口に運んで行く。

其れを眺めていた私はつい口に出してしまった。

「本当、東藤さんって美しいですね」
「──は?」

私の発言を訊いた瞬間、東藤さんが持っていたスプーンからすくったピラフがポロっと落ちた。

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