『武流、ちーちゃんにフランスに行く事ちゃんと云ったの?』


私は其の言葉の意味が理解出来なかった。


「え…あの…其れってどういう…」

呆けていた私がやっとの思いで口に出せたのは其の言葉だった。

武流の顔を見ても、武流は俯いたままで私と視線を合わなかった。


「やっぱりちーちゃんには何も云っていなかったのね」
「…」
「あの…あの」

私は『あの』しか云う事が出来なかった。

其れを見かねて留実子さんは事情を話してくれた。


「あのね、ちーちゃん。武流の父親がフランスに住んでいるっていう事は知っているでしょう?」
「あ…はい。フランスで画家をされている」
「其の彼が数ヶ月前に脳梗塞で倒れたの」
「えっ!」
「幸い命にかかわる程の症状ではなかったのだけれど、後遺症で日常生活に困難をきたす状態になってしまったの」
「…そんな」

其の告白は私に衝撃を与えた。


(全く知らなかった)


元々武流からお父さんに関しての事を訊いた事がなかったので知らないのも無理はないのかも知れないけれど、其れでも好きな人の家族がそんな大変な事になっていたという事を知らされ少し動揺したのだった。


「でね、今はヘルパーさんの世話になりながら過ごしているけれど其れも限界があると思うの。だからあたしはこの機会に彼とちゃんと籍を入れて、妻として彼を支えて行きたいと思ったの」
「…」
「今まで好き勝手させてもらったお詫び──っていう気持ちじゃなくてね、素直に彼のために、助けになりたいって思えたから決断出来たの」
「…」

留実子さんの気持ちがじんわりと心を温めた。


あまり詳しくは知らない武流の両親の仲。

籍を入れるという結婚をしないで事実婚という形式はなんとなく何処か愛情を重さで計ったら通常よりも軽いもの──という印象があったためにいまいちよく解らなかった。

だけど籍が入っていようがいないだろうが其の愛情の深さ、重さには関係ないのだ。


「其れで渡仏に向けて色々調整しているんだけど其処で問題になるのが武流の事なのよね」
「…!」

武流の体が少しビクンと震えた。

其れで武流がとても動揺しているのだと解った。

「武流は父親とまともに逢った事がないの」
「そうなんですか?」
「えぇ。物心ついてから何故か武流は此処から離れる事を厭がってね」
「…」
「そんな親子関係にしたのはあたしたちのせいだと思うと申し訳ないという気持ちもあるのだけれど…だけど今、こういう状態になってから考えを改めたの。やっぱり家族は一緒にいた方がいいんじゃないかって」
「!」
「彼も今は小康状態を保っているとはいえ予断を許さない状態ではあるの。元々心臓に持病があってね…今までは平気だった発作も歳を取った今まではどんなちいさな発作も楽観視出来なくて」
「…」
「だから出来る限り彼の元であたしと武流、家族三人で過ごせたらと思っているの」
「…」
「前々から武流には電話で其の事を伝えて話し合って来て、やっと渡仏する意志を固めてくれたと喜んでいたのに何故か其れっきりあたしからの電話に出なくなって。どうしたって思うでしょう?だからもう直談判に来たって訳」
「…」

黙って留実子さんから語られる事実に胸がドキドキと厭な音を立てていた。


(ちょ…ちょっと待って…)


『…やっと渡仏する意志を固めてくれたと喜んでいたのに』


(武流はフランスに行くって…そう決めていたの?!)


初めて知った事実に私は言葉なく青ざめた。

するとそんな私を見て武流は留実子さんに向き合った。

「母さん、僕はフランスには行かない」
「え」

武流の言葉に反応したのは私だった。


「──なんで?前、訊いた時あんた『行く』って云ったわよね?」
「…あの時は…」

留実子さんの真っ直ぐな視線に武流は少し気まずそうにした。


(武流は一度はフランスに行くって決めていたって事だよね?)


其れがいつの事なのかは私には解らなかったけれど、でも武流の『フランスには行かない』という言葉に少し安堵している私がいた。

でも留実子さんやフランスにいる武流のお父さんの事を考えると其れでいいのか?という気持ちにもなった。


「どうして短期間で気持ちが変わったの?其の理由をちゃんとあたしが納得出来るように説明しなさい」
「…」

留実子さんが云う事は当たり前の事だった。

一度はフランスに行くと云った武流。

でも今は行かないと──

其の気持ちの変化は何だろうと私自身も知りたかった。


「…」

武流は私たちに理由を云うのが厭なのか、ずっと俯いたまま何かと葛藤していた。

「武流!」
「!」

いきなり留実子さんの檄が飛んで武流はビクッと体を撓らせた。

「何、其のネチャネチャした態度は!あたしそういうのは嫌いだって云っていたでしょう?!シャンとしなさい!そんなんだから心配になるんでしょうが!」
「……だった」
「あぁ?」
「フランスに行くと云った時、僕はちとせに酷い事をして嫌われたと思っていた。もうちとせの傍にはいられないって。だからちとせから離れようと…其のタイミングが丁度良くて渡仏するってつい云ってしまって…」
「…」
「だけど今は…僕の非道を赦してくれたちとせと付き合いだして…離れたくないって思っているんだ!だからフランスには行きたくない!」
「…」


(私に酷い事をって…もしかして…)


思い当る出来事が脳裏に鮮明に映し出され、一気に顔がカァと赤くなった。

そんな私とたどたどしく説明する武流の様子を見ていた留実子さんの眉間には深い皺が刻み込まれて行った。


「…おい、馬鹿息子…ちーちゃんに何した」
「──え」
「ちーちゃんに酷い事って──何をしたんだって訊いてんだよ!云え、この馬鹿息子──!!」
「わっ」

いきなり武流に飛びかかった留実子さんは激しく武流を叩きながら叱責した。


「や、止めてっ!留実子さんんんんっ」


其のあまりにも恐ろしい地獄絵図の様な親子喧嘩の光景はこの先私の記憶の中から消える事はなかったのだった。

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