久遠寺智里という人が作った曲を初めて聴いたのは8歳の時だった。

テレビから流れて来たほんの30秒のCMの中で使われていたピアノ曲だった。

其の旋律を聴いた瞬間、私は其の音に恋をした。

なんて甘くて静かで、そして時々見え隠れする激しさ──

一瞬、この曲を弾いている人の人物像を垣間見た気がした。

普段は物静かで穏やかで決して自分から前に出たりしない。

だけど本当はとても情熱的で激しい気性の持ち主。

そう

水面の静けさと炎を熱さを合わせ持った孤高の人──

一聴き惚れした其の曲がどういうタイトルで、誰が作って誰が弾いているのか必死に両親に訊いて判明したのが、久遠寺智里という23歳のピアニストによる自作の曲だったという事。

其れ以来私は久遠寺智里の曲とまだ見ぬ其の人に恋をしてしまっていたのだった。



「──はぁ…仕方がない。一度アポ、取ってみるか」
「え」

少し回想している間に社長が頭を抑えながらため息をついた。

「取るだけだからな。まぁ、うちみたいなしょぼい事務所からのアポなんて一蹴されるのが目に見えているんだけどよ」
「しゃ、社長~~」
「いいか、断られたら金輪際久遠寺に曲を!なんて戯言、抜かすんじゃないぞ」
「……はぃ」
「あぁ?なんだ、今の間は」
「はい」
「…おまえ…もしかして断られても直談判に行こうとか考えていねぇだろうな」
「…」
「いねぇだろうな!」
「いません」

(嘘、考えています)

「いいか、NOだと云われて直談判に行く様な身の程知らず馬鹿がいる事務所なんて一発で消されるんだからな!オレに恩を感じているならそういう愚かな事、してくれるなよ!」
「…はぁい」
「なんだ其の返事。取らねぇぞ、アポ」
「はい!断られたら潔く諦めます!」
「──よし」

(…と社長にはそう云ったけれど…)

やっぱり諦められない。

もし万が一アポが取れなかったら…

(事務所を辞めて独断で直談判に行くしかないかなぁ)

こんな横暴で口の悪い社長でも恩義がある。

私の夢を叶えるために社長に迷惑はかけられない。


(うん…そうしよう)



社長が久遠寺智里にアポを取るために社長室に入ってから10分。

其の間、私は事務所の片隅でまるで死刑判決を受けるか否かみたいな心境で膝を抱えていた。


やがて


カチャ

「!」

静かに社長室のドアが開き、中から何ともいえない表情をした社長が出て来た。

「社長、どうでした?」
「…」
「社長!」
「…NO」
「っ」

(やっぱり…)

ガッカリと肩を落とした瞬間

「なんで…NOって云わねぇんだよ!」
「───は?」
「アポ、取れた!逢うだけ逢ってくれるだと」
「!!」

(嘘!ほ、本当に?!)

「なんでだよ…なんでうちみたいな弱小事務所の…クズみてぇなド素人に逢うなんて云うんだよぉ」
「社長、本っ当口が悪い!」
「だってよ、信じられねぇだろう!業界人だって久遠寺本人に逢える人間なんて数える程しかいねぇって話で」
「はぁ~やっぱり私、持っていますね」
「…」


幸せの絶頂にいた私はまだ何も知らなかった。


久遠寺智里という人の本当の素性を。


そしてこれから私の身に怒涛のような出来事が起こるだなんて…


全く考えもしなかったのだった───

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