季節は秋から冬になろうとしていた。

其の日も俺は朝から営業のために車を走らせていた。

我が社にたった一台だけある営業車という名前の車。

小回りが利くという事で軽自動車にしたのだけれど、この車の購入にあたって蒼さんとは随分やり合った記憶が蘇る。

(あのボンボンはなんでも大きいものが好きだからなぁ)

事実私物である蒼さんの車は大きなハイブリッドカーだった。

女子高生みたいな形(ナリ)をしている蒼さんは小柄だからなのか、やたら大きなものに心酔する処がある。

自分の持ち物に関しても其れは顕著に表れていて、特に車に関してはやたら大きなものを推奨していた。


『どうせ俺しか乗らない車だから小さくていいんです!』


という俺の意見を最後まで渋い顔をして訊いていたなぁと思い出し、少し笑えてしまった。



蒼さんとの出逢いもある意味衝撃的なものだった。

芸能事務所を辞めて突如目指していた夢が消えた事に戸惑い狼狽えていた頃、これからの事を模索しながらジャズバーでバイトしている時に蒼さんと出逢った。

其の時蒼さんは酷く泥酔していて、ふたりの男に何処かに連れ出されようとしていた。

俺はてっきり女子高生が危ない目に遭っているとばかり思い、其のふたりから蒼さんを助けたのだが──


(まさか俺よりも歳上の男だったとはな)


あの時の事は今思い出しても驚きと恥ずかしさしかもたらさない。

そんな縁で知り合った蒼さんと何度か店で逢うようになって、少しずつ話をするようになり蒼さんという人となりを知ってまた驚いたものだった。

蒼さんの背景にある巨大財閥の跡取りとしての重責、息苦しさ、葛藤──そんなものを垣間見た俺は何故か蒼さんの目指すべき未来像に陶酔している自分に気が付く。

蒼さんが手掛けたい事業のひとつに俺も加担したいのだと思った。

其れにより俺は目指すべき夢をひとつ得られた気になったのだった。


そして蒼さんの掲げるパーツモデルを派遣する会社の具体的な話しを進めている頃に薫と出逢った。

俺と蒼さんとふたりで座っていたカフェの席にいきなり座り込んで来た男がいた。

其れが薫だった。

最初に見た薫をてっきり外国人だと思ってしまって、必死に拙い英語で話しかけたのだけれど、とても流暢な日本語で『…しばらく匿ってください』とだけ云って其れからずっと無言で俺たちの話を訊いていたのだった。

其の内突然薫が『…僕もあなたたちの会社に参加したいです』と云った時には驚いたものだった。

あの時薫の身に何があったのかは、後々薫の事情を知る事で理解した。

とある国の王子でありながら影を潜め、息の詰まるような生活を送っていた薫にとって蒼さんや俺のような人間と一緒に居る事が何かしらの変化、希望が湧いて来る環境になるとでも思ったのだろうか。

俺は薫じゃないから其の辺の処はよく解らなかったけれど、そんな一風変わった出逢いをした俺たち三人はお互い其々の思惑から一致団結して会社を興したのだった。






「…何、笑っているの?」
「え」
「先刻からこう、口の端が」

そう云いながら両人さし指を口角に添え、上に引き上げた。

「あぁ、悪い。蒼さんと薫に出逢った時の事を思い出していて」
「あぁ…」

俺の言葉を訊くとフッとマナが笑った。


一年前に気まずいまま別れた恋人のマナの元に通うようになって半年ほどが過ぎた。

今日もいつものように営業の隙間時間を見計らってはマナの家に寄って話をしていた。

涙花がくれた勇気を胸にマナの実家に行った時、マナは別れた時のまま少し鬱な様子が窺えたけれど、俺がずっと思っていた事をマナに吐き出して、そしてこれからどうしたいのかという正直な気持ちを伝えた時は涙を流して言葉にならない声を発した。

あまりにも突然の事で混乱させてしまったようだ。

俺の存在自体を否定され、罵倒され、散々恨み辛みの言葉を投げかれられた。

そんなマナを見ていると、離れていた時にずっと感じていた罪悪感や焦燥感が少しずつ消えて行くような気がした。

マナはずっと我慢していたのだと気が付かされた。

俺に云いたい事が云えなくて、自分の目指すべき物事が思うように行かない中、唯一すがりたかった俺にもどんどん置いていかれる恐怖、孤独感が次第にマナを追い詰めて行ったのだ。


そんな最悪の精神状態の中でひとつの尊い命を失くしたという現実。

俺がずっと誤解していた其の件の真相もマナから遠巻きに訊けた。

真実は稽留流産──というものだったらしい。

妊娠初期に稀に起こってしまう防ぎようのない流産。

決してマナのせいで起きた事ではなかったのに、気持ちが不安定だったマナは其れすらも自分が悪いのだと信じ思い込み、益々精神的に追い込まれてしまっていたのだ。

なのにそんなマナが自暴自棄になって発した言葉を其のまま鵜呑みにして別れを切り出した俺は取り返しのつかない罪を犯してしまった。

俺はもっとマナと真正面に向き合い、とことん話をするべきだったのに。

そんな当たり前の事を俺は涙花から教えられたのだった。



「マナ、今日は機嫌よさそうだね」
「えぇ、そうね。今日は…外に出て空気を吸い込みたい気分」
「そう、じゃあ少しドライブしないか?」
「えっ、だって…まだ仕事中でしょう?」
「次のアポまで三時間あるんだ。丁度ランチの時間とも重なるし…どう?久しぶりに外、出てみないか?」
「…」
「うんと綺麗に着飾ってさ。たまにはそんなマナが見てみたいよ」
「…樹」

根気強くマナと付き合って来て此処最近では昔の雰囲気に戻りつつあった。

マナの症状が完全に、何処まで治るのかは専門家じゃないからよく解らないけれど、でももう絶対にマナを手放したりはしないと思っている。


「行こうよ、マナ」
「…うん」

マナの細くて小さい掌を握って支度を促す。

ほんの少し頬を染めるマナは昔と変わらずに綺麗で、やっぱり俺はマナを本当の意味で幸せにしたいのだと強く思ったのだった。









蒼い樹が薫る
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