私の事が原因で薫さんの独立が認められないだなんて…

(どうしよう)

不安な気持ちがドンドン心の中に充満して来た。

息苦しい中でもどうしたら蒼さんを説得出来るかと必死に考えていると

「いいか、こいつはオレの飯炊き当番だ。こいつがいなくなったらオレが餓死するだろうが!」
「…え」
「へ?」

薫さんが驚いた声を小さく発して、続いて私が大きく驚きの声を発した。

「やっとまともな飯炊き女が来たと思ったのにこんな短期間でいなくなるなんてありえないだろう!あぁ、反対だ、オレの生死に関わる事態は何が何でも回避しないといけねぇだろうが」
「…」
「ちょっと、蒼さん、たった其れだけの事を理由に私と薫さんを此処に縛ろうっていうんですか?!」
「馬鹿野郎!たった其れだけじゃねぇよ!云っただろう、オレの生死に関わるって。また初めから得体の知れない家政婦を雇って気を使わねぇといけなくなるだろうが!」
「…」

(…確かに)

私が来るまでの此処の状況をかいつまんでも、確かに私がいなくなる事で少なくとも食事や食事以外の家事全般は滞る事になるのかも知れない。

(そんな…どうしよう)

仮に新しい家政婦さんが来たとしても様々な理由から早々に解雇する羽目になるのだと解っていると中々新しい事に乗り替わるのは辛いなと思う。

でもだからといってこのままずっと此処にいるという事は本意ではない事で。

(……あ!)

そんな時、私の頭の中にはある人の事が思い出された。

「蒼さん、朱里さんは?」
「──は?」
「蒼さんの部下の朱里さんですよ。私のお世話をしてくれた時、凄く細やかな気遣いで快適に過ごせましたし、其れにお料理も完璧!ううん、私なんかよりも腕がよくて其れはもうプロ並みでした!」
「…」
「朱里さんに此処にいてもらう事は出来ないんですか?朱里さんなら蒼さんだって気遣う必要はない訳ですし、現に蓼科の別荘でも朱里さんが蒼さんのお世話をしていたんでしょう?」
「…」
「だったら此処でも同じように出来るんじゃないでしょうか」

我ながらいい考えだと思った。

朱里さんという存在を知った今では、新しく家政婦さんを雇うよりも、私なんかよりも遥かに適材だと思うのだけれど。

「朱里──か。あいつを家政婦にとは考えた事がなかったな」
「…」
「あいつはあくまでもオレの部下で陰ながらオレの指示どおりに好き勝手動かせるコマくらいにしか考えた事がなかったが」
「…蒼さん、朱里さんに対して酷い云いようですね」
「煩せぇな。部下と家政婦は全然違うだろう!そういう発想もなかった」
「じゃあ、考えてみませんか?」
「──まぁ、確かに朱里なら何の気遣いも要らねぇし飯も食えるもの作れるし」
「じゃあ!」
「……はぁ、ったく。おまえ、自分の事になると色んな悪知恵が働くんだな」
「悪知恵とは失礼な。其れに私の事じゃないです、薫さんと私の事です」
「ルイカ」

今までずっと私の手を握りしめてくれていた薫さんの掌にグッ力が入った。

「私は薫さんが望む環境を与える為なら必死になります。どうしたって叶えてあげたいと思うんです」
「…ルイカ」

何ともいえない表情を私に向けて薫さんはそっと繋いだ手を持ち上げ、チュッと私の手の甲にキスした。

少し恥ずかしかったけれど、薫さんの気持ちを感じられて私は恥ずかしさよりも喜びを感じていた。

「あぁ、阿呆くさ」
「え」
「樹の云っていた通りだな。おまえらが場所を弁えずにイチャつくんだって苦情がガンガン入っていたんだが…確かにこんなのをいつでもやられたら此処の風紀が乱れるってもんだな」
「風紀って」
「仕方がねぇ、特別の計らいだ。薫、そいつを連れて此処から出て行け」
「…蒼さん」
「ただし、独立は認めねぇぞ」
「え」
「おまえの起ち上げる店は林宮寺との提携にする」
「…提携?」
「どうせおまえは服を作る事しか能がないんだろう?正式な店にしようとしたら今までのような個人的なやり方じゃ済まなくなる。だからオレが選りすぐった優秀なスタッフを何人か寄越してやる」
「…」
「経営に関する細々とした業務はそいつらに任せろ。だがあくまでも店主はおまえだ、薫。おまえがスタッフに指示を出すんだ。其れくらい出来なくて独立とか抜かすなよ」
「蒼さん…」

思いがけない言葉だった。

確かに闇雲に独立──と云ってもそういった事に素人な私は勿論、薫さんだって性格的には何処まで表立ってやれるか解らないのだ。

そんな私たちに蒼さんは救いの手を差し伸べてくれた。

「いいんですか、蒼さん」
「あぁ?何がいいんだよ。オレはただ単にビジネスの話をしているだけだ。目先に儲かりそうな話があればいち早くものにするだけだ」
「ふふっ、相変わらず」
「なんだよ、この家政婦風情が。オレ様に生意気な口叩くんじゃねぇぞ!」
「ははっ、はい。申し訳ございませんでした」
「──ふんっ」

私のよく知っている蒼さんだ。

あぁ、これが蒼さんなんだって思えるようになった私がなんだか嬉しかった。

「蒼さん、ありがとう」
「頭下げんな、気色悪ぃ。ってかいいのか、独立は無しだぞ」
「いいよ。元々独立だなんて大層な事、真剣に考えていなかったから。ただ単にルイカと一緒に住めて、ずっと傍で好きな仕事が出来ればいいと、そう思っていただけだから」
「そんな事だろうと思ったぜ。おまえが独立だなんて絶対あり得ねぇって思っていたからな」
「流石蒼さん、頼りになる」
「煩せぇ!いいか、林宮寺が手を貸すんだからちゃんと儲けさせるんだぞ」
「儲かるかどうかは解らないけど、ルイカのために頑張るよ」
「おまえ…其処はオレのために、だ!間違えるなっ」
「いや、間違っていない」
「てめぇ~~」

「あははっ、もう蒼さんも薫さんも…相変わらずですね」

私は思わず声を上げて笑ってしまった。


私は今、なんて素敵な瞬間に立ち会えているんだろうと思った。

好きな人が生きていく道を見つけた瞬間、其処に向かうためのスタート地点に立ち会えた事。

気の置けない人たちとの触れ合いや、本当の気持ちを確かめ合っている瞬間に立ち会えた事。


全てが私にとっては心に残る貴重な瞬間だったのだ。


蒼い樹が薫る
★ランキングサイトに参加しています。
其々1ポチずついただけると執筆の糧になります。

恋愛ランキング
にほんブログ村 小説ブログ 恋愛小説(純愛)へ
にほんブログ村